龍蔵寺 第64世 住職随想
   「長岡市佛教会ものがたり」という刊行物が
発行されました。
 発行年月日は、令和3年・2021年7月でした。
 その刊行物の中に,龍蔵寺第64世の住職・
樺澤賢正方丈様の2編の随想が執筆されております。
 下記にその内容を掲載致します。


  
もくじ内容
 
1 p83 ・・・ 「専任ビハーラ僧の誕生」
     
  

 2 p100~p101 ・・・
  「長岡市仏教会の将来 ~私の夢~」 
 専任ビハーラ僧の誕生  樺澤賢正(龍蔵寺)

 長岡西病院ビハーラ病棟は、平成4年5月に開設(22床)し、翌年4月に全国で9番目、新潟県内では初の緩和ヶア病棟として認可を受け現在32床に増床。仏教を背景とした看取りの場であり、開設以来のビハーラの理念を大切に、大が最期まで生きぬくための援助を追及し続けている現場です。

 開設以来、今までに7人の「常勤ビハーラ僧」が着任されましたが、平成30年4月より、「仏教者ビハーラの会」としてその役割を請け負い、会員中より4名(いずれも地元の若手僧侶)を選出し、「専任ビハーラ僧」として勤務することになりました。宗派の構成は浄土真宗本願寺派1名、真宗大谷派1名、真言宗2名。
 毎日、病棟に僧侶の姿が見える風景を創るように心がけています。

 「仏教者ビハーラの会」は、昭和62年1月、ビハーラ病棟開設の準備段階から、病棟への協力を大前提とし、会員の学習、ビハーラ活動の啓発宣伝、仏教を通しての社会的活動を目的として発足されました。老いと病と死に苦しんでおられる方々に関わることは、仏教者本来の役割であるとの共通認識をもって、95年以上の伝統をもつ[長岡市仏教会]を基盤に、超宗派の県内外の僧侶、一般賛同者で構成されています。病棟では「ボランティア・ビハーラ僧_として、病棟内仏堂での朝の勤行、仏教行事の執行、病棟行事への協力をしながら利用者との関わりをもっています。病棟以外の活動は、学習会、長岡市内の病院・福祉施設7ヶ所への定期的な法話会、市民講座「いのちの講座」開催(年5回程度)、ホームページ運営などに及んでいます。尚、病棟スタッフからは「ビ僧さん」と呼ばれています。
 「専任ビハーラ僧」の病棟での活動は、利用者(患者・家族)・遺族・参詣者との関わり、病棟スタッフとの関わり、病棟内仏堂での朝夕の勤行、お別れ会、各種仏教行事の執行、各種病棟行事への協力、カフェビハーラ、運営会議、病棟会議、デスケースカンフーレンズ、多種職カンファレンス、入院相談者情報の共有、仏堂管理、環境整備、防災訓練、「遺族会(野菊の会)」との連携、「仏教者ビハーラの会」との連携など多岐にわたっています。

 開設当初から、宗派を超えた仏教を背景に、利用者本人の願いを軸に、多様な価値観を認めた対応を心がけています。また複数の「専任ビハーラ憎」よる交替勤務の故に利用者個々や病棟の動向などの情報共有の徹底は必須であると同時に、個人情報の管理、倫理規定の厳守、公共空間で活動している自覚が求められます。
 今後も医療・福祉の現場の中で、日常的に、普段の生活の中に、違和感なく僧侶の姿が存在し、相手から必要とされる、選ばれる僧侶、何でも話しがられる僧侶が増えて欲しいと願うばかりです。

長岡市仏教会の将来 ~私の夢~      樺澤 賢正(龍蔵寺) 
 毎年恒例となっている「現代用語の基礎知識」選「ユーキャン新語・流行語大賞」は、1年の間に発生したさまざまな「ことば」のなかで、軽妙に世相を衝いた表現とニュアン
スをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選出するものです。
 令和2年のノミネート30語の内、新型コロナウイルスに関連するものは、「新しい生活様式(ニューノーマル)」「アペノマスク」「おうち時間(ステイホーム)」「オンライン○○」「ソーシャルデ・スタンス」「濃厚接触者」など17語にも及び、年間大賞には、感染拡大につながる「密間、密集、密接」を表した「3密」(小池百合子さん/東京都知事)が選ばれました。その中で、「エッセンシャルワーカー」ということばがノミネートされ注目を集めています。

 エッセンシャルワーカーとは「私たちの日常生活における、必要不可欠な仕事(エッセンサルサービス)を担う労働者」という意味です。社会の機能を維持するために感染のリスクと闘いながら、今も最前線に立ち、誇りをもって命と暮らしを守る仕事に就労されています。私たちが今まで当たり前だと思っていた生活は、エッセンシャルワーカーのたゆみない努力により支えられてきました。コロナ襴により、「当たり前」が「ありかたい」ということに気づいた人たちも多いのではないでしょうか。代表的な職種として、「医療従事者」「スーパー・コンビニ・薬局店員」「介護福祉士・保育士」「役所職員」「バス・電車運転士」「郵便配達員・トラック運転手」「ゴミ収集員」といった、7つの職種が挙、’
られます。

 この度のコロナ禍で、残念ながら「イム教者」はエッセンシャルワーカーではないことが露呈されたわけです。曽侶は「ワーカー」ではないという意見もあるかと思いますが、日常生活に必要不可欠なサービスを持ち合わせているかどうかという視点からの考察であることをお含み下さい。また、僧侶は必要不可欠だと主張される方もおられると思いまで、
私もそう思っています。人として生きぬくために、生きる指針として仏教は必要だと思っています。イム教は、困っている人々を助けることではないのですか?と思っています。しかし、世間の判断は論理的です。社会の中における宗教の位置という観点を、現実に即し
た理論的展開で示すことは、宗教学の弱いところかもしれません。

 そこから、「寺院や僧侶」が公共の場で、公の立場で、エッセンシャルワーカーとして
認められないものかと思いました。教団・宗派単位で、現代社会に果たすべき宗教の役割
を探究しながら、数々の試みがなされているにもかかわらず、一般社会からは、宗教の存
在意識は薄れ、なかなか認められない現状があるように思います。
 認められるには、超宗派の「日本の仏教」の叡智をもって、寺院や僧侶が地域社会の要請に応えて創造的な役割を考え、現代社会にふさわしい仏教の在り方を発信し、行動に移すことだと思います。
 折しも世界は今、国連が推進するSDGs (持続可能な開発目標)に注目し、「誰一人
取り残さない」という理念のもと、貧困、飢餓、働きがい、教育、経済成長、気候変動な
ど、世界が抱える17の課題に取り組んでいます。イム教も、痛みを抱えて生きる人々、困っている人々に応えることが求められているように思います。また、人々の協力や助け合いの行動を促す「信頼」「お互いさまの支え合い」「つながり」などを指す「ソーシャル・キャピタル」というアプローチも必要かと思います。

 私の夢は…?と聞かれたので、以下の本をパラパラとめくりながら…
・秋田光彦『葬式をしない寺 大阪・應典院の挑戦丿新潮社
・高橋卓志『寺よ、変われ』岩波新書
・阿満利麿『社会をつくる仏教-エングイジド・ブッディズムー』人文書院
・上田紀行『がんばれ仏教-お寺ルネサンスの時代-』 NHK出版
・丸山照雄『闘う仏教』法蔵館
・末木文美士『現代と仏教-いま、仏教が問うもの、問われるもの』佼成出版社
・末木文美士『現代仏教論』新潮新書
仏教がどのよう扛社会参加できるのか。これは決して自明な道があるわけではありません。
「言うは易く行うは難し」を承知の上で、長岡市仏教会が、「日本の仏教」という立場から社会的役割を模索し、行動に移し、地域社会から「エッセンシャルワーカー」として認められること。それが私の夢です。